てんぷらの朝







さつまいも、しらす、ピーマン、なす。

揚げたての天ぷらが食卓に並ぶ。学生時代の見慣れた朝の風景。

父が仕事のために買ったコピー用紙がお皿の上に敷かれていて、そこに油から取り出したばかりの天ぷらを母が並べていく。その横には半分だけごはんが詰められたお弁当箱があって、先に起きていた姉が残りの半分に天ぷらを詰めていく。

もこもことした分厚い衣に包まれ、食材たちの姿はほとんど見えない。不恰好に衣をまとった彼らがごはんの横に並ぶと白っぽいお弁当が出来上がる。そこへ卵焼きを詰めるけれど白と黄色だけではあまりにも色気がない。だからごはんに梅干しを乗せてふりかけで色を足す。

それが学生時代、定番のお弁当。

 定番と言いながら実際にはあまりそのお弁当を学校へ持って行かなかった。朝起きておかずが天ぷらだとわかると、私は母の目を見ないようにして「今日パンにする」と小声で告げる。すると母は財布から千円札を取り出して手渡してくれた。お昼はそのお金で購買のパンを買って食べた。

 別に天ぷらが嫌いだったわけじゃない。お店で食べるものも、母が揚げたものも。ただ、冷えてべたっとした衣とか、冷たくなった油がごはんに染み込んでいるのとか、色気のない見た目とかが嫌だった。

 大体なぜ朝から天ぷらだったのか。

母は働いていて朝はただでさえ時間がなかったはずなのに。その証拠によく遅刻しそうになって家から駅までを全速力で走っていた。

それにあまり料理が好きではなかったと思う。毎朝炊きたてのご飯とお味噌汁を食べさせてくれていたし、ぽっちゃり体型で青春時代を過ごすくらいに母の料理は美味しくて好きだった。でも手の込んだものを作ることはなかったから。

じっくり楽しみながら料理をするというよりも、忙しい合間を縫って手早く美味しいものを食べさせてくれていた、という印象。

そんな人が朝から天ぷらを揚げるなんて。それも結構な頻度で。

おかずを作るだけなら炒めるとか煮るとかもっと簡単で手間のかからない方法がいくらでもあったように思う。本人に聞いてみれば良いのだけれど、母は当時のことなんてもう覚えてさえいないかもしれない。無礼を働いた娘としては、その方がありがたい。

ときどき昔の出来事を思い出しては、大人になったつもりで過去の自分の行いを反省してみることがあるけれど、もしも今もあの頃のように母と一緒に暮らしていて、食事やお弁当を作ってもらっていたら、同じことをしない保証はない。そういう未熟さを私は今も持っている。

だけど、もし明日の朝起きてコピー用紙の上に白い天ぷらが並んでいたら、お弁当箱に詰めて会社に持って行こう。

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