これからも







子どものころにいつも父親から注意されていたことをときどき思い出す。ごみ箱にごみを捨てる時にふわっと捨てるなとか、床はゴミ箱ではないのだから消しゴムのかすを床に払って捨てるなとか、使ったものは元あった場所にきちんと戻せとか、日常の些細な習慣についてよく叱られた。
怒鳴らず、殴らず、優しい優しい父だったけれど、友だちのように接することの出来ない厳しさを感じさせる人だった。でも何を言われても逆らえなかったのは決して怖かったからではなくて、父自身がきちんとしている人だったから。細かいことを注意されてうるさいと思っても「お父さんだって、、、」なんていうことは言わせてもらえなかった。
父は予備校で数学の講師をしていたので家でも白い紙を前に計算をしていることがよくあった。紙の横にはいつも消しかすの山が作られ仕事が終わるとそれはきちんとゴミ箱の中へ捨てられた。丸や三角や波形などの図形を描くのに使われた定規たちもきちんとティッシュペーパーでシャープペンの粉を拭き取ってから、それぞれの定位置へ戻された。私が父の道具を使うのが好きだったのはきれいだったからかもしれないと今更になって気が付いた。
そんな父の注意をよそに私はだらしない大人に育ってしまった。ごみをふわっと捨てるのですぐにゴミ箱からゴミが溢れて零れ落ちる。消しゴムを使うことがほとんどなくなったので消しかすを捨てることは無くなったけれど、髪の毛や小さなゴミならば平気で床へ落としてなかったことにしている。使ったものを置きっぱなしにするので机の上がもので埋まってしまい気が付くといつも狭い範囲で作業をしていた。父があんなに口うるさく注意してくれた効果はあまりなかったようだ。
溢れたゴミ箱を見るとき、テーブルの上の髪の毛を床へ払い落とすとき、机にものが積み重なってイライラするとき、父の声が聞こえる。静かな、だけど厳しく戒める声。かといって私の行動は改善されない。思い出すだけ。あ、昔こうやって注意されてたっけ。そう心の中で呟く。もしかしたらそのためだっただろうか。もう会うことは出来ないけれど私は今も父に叱られている。父との思い出はそうやって今も増え続けている。会えなくても、話せなくても、触れなくても、注意してくれた言葉や語りかけてくれた言葉を思い出すことで私たちの思い出は更新され続けるのかもしれない。
だからいい、なんて決して思うことは出来ないけど。そんな風に今でも思い出が増えつづけていることに喜びを感じている。これからもしも子どもができて叱るときがきたら、同じことを言われたなぁなんて思いながらさらに私たちの思い出は積み重なるかもしれない。そんな日が来るかはまだ分からないけれど、これからもどうぞよろしく。

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