剣道




剣道の試合を観ました。
剣を竹刀に持ち替えているけれどそれはまさしく真剣勝負。その気迫は殺し合いでした。けれど一度試合が終われば相手に礼を尽くす。現代の日常生活ではほとんど見ることないほどの正しい姿勢で向き合い、美しく礼をする。その姿は画面の中でしか見たことのない武士の姿と重なって見えた。
かつて人が刀で切り合っていたころ、人は今よりもっと礼節を重んじていた。重んじなくてはならなかった。それは人とかかわる上で大切なことだけれど、時に人との間に壁を作る。必要以上に深くかかわることを避けるように。距離を保つように。
けれどその距離感が人間関係を上手く回すコツであったに違いない。近づけば近づくほど相手のことも自分のこともよく見える。悪いことも良いことも見えてしまう。そうなればより多くのことに気を配らねばならない。遠くに居た時には見えなかった表情にまで神経を行き渡らせながら相手に接する。分かりあうことが多い分たくさんの労力を必要とする。すべての人にそうすることは出来ないから距離を保ち、それでも不快な思いをさせることの無いように礼を尽くす。
そう考えてみると切り合うことは最も距離の近い関わり方なのかもしれない。礼儀を取り払って向き合う。お互いに自分の命を懸けて。つまりはすべてを掛けて。もしかしたら切り合っているその瞬間に最も深くその相手を理解する。そしてその刹那に相手を失う。
殺し合うことでしか分からないこと。そんなものがあるのだとして知りたくもないけれど、人と知り合い、分かり合うためにはそのくらい真剣に自分の何かを賭して向き合わなければならないと、闘う友人の後ろ姿が教えてくれた。
試合を終えた友人に道着のときは下着をつけないと教えられ、その事さえもどこか神聖に感じられた暖かい冬の午後だった。

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