今更 その2




 昨年末、友人からカレンダーを頂きました。美しい野菜たちが日々に色どりを添えてくれる、お野菜カレンダー。
 写真が本当にきれいなので、本当に今更ですが、1月から、毎月のお野菜たちをご紹介していきたいと思います。

 

 1月は、カブ。

 カブと言えば、昔から毎日のように食べていたカブの糠漬けを思い出す。

 毎日食べていたと言っても、それは家で漬けていた物ではなくて、近くの商店街にあった行きつけの八百屋さんで買ってきたものだった。

 休みの日に母と出掛けた帰りにはよく一緒にその商店街で買い物をして帰った。糠漬けは、大きなプラスチックのケースに入れられていて、私たちの目の前でおじさんがそこからキュウリやカブを取り出して、包んでくれた。

 幼い私は、糠の中から現れた野菜たちを不気味に思っていたと思う。だけど、母が洗って食卓に並んだそれらはおいしく頂いていた。

 おそらくあの頃は、買った時の姿と食卓に並んでいた姿が上手く結びつかないまま同じものだと知らずに食べていたように思う。そのころからそういういい加減さは変わらないようだ。

 八百屋さんの隣には、魚屋さんがあって、私はどちらのおじさんとも仲良しで一人でお使いに行くこともあった。その隣にはお弁当屋さんがあって、そこのカボチャコロッケが母も私も大好きだった。小さなケーキ屋さんでは、誕生日のケーキを買ってもらっていた。小説を読んでいて、『町のケーキ屋さん』というような言葉が出てくると、このお店を、そのケーキの味を想像する。今では、八百屋さんも魚屋さんもなくなってしまって、代わりに若者が新しいお店を出しているので、賑わいは変わらずに今どきのおしゃれさが感じられるようになったけれど、昔のあの雰囲気を懐かしく感じる時がある。

 大学受験の面接で、最寄り駅にある商店街を建築家としてどのように変えたいか、と問われたことがあった。私はものすごく焦って、上手くその質問に答える事が出来なかった。

私が受験したのは、建築学科だったので予想が出来なくもなかったのだろうけれど、特別用意周到でもない私がそんな質問への答えを用意してきているはずがなかった。

 確か、大きなビルを建てたい、というようなことを答えた気がする。理由を尋ねられて、そういう街が好きだから、というなんとも安易な回答をした。落ちたと思った。

 今でも時々その時の面接を思い出す。あの時どう答えるべきだったか、何度も考えた。それくらいあの面接での失敗は衝撃的な出来事だった。

 私は面接の日の夜、父が入院していた病院の病室で泣いた。

 カーテンに隠れて泣いたけれど、父も母も姉もすぐに気が付いて、全員が慰めてくれた。

 父は穏やかな声でゆっくりと、期待されたんだ、と言った。

 そういう難しい質問をされたのは、期待された証拠だ、だから、大丈夫だと言ってくれた。

 静かだけど力強い声だった。それまで絶望の淵にいた私を引き戻して、大丈夫という暖かい空気の中に引き入れてくれた。

 大丈夫。昔から両親にそう言われて何度も励まされ、守られてきた。けれど、その根拠を一度もきちんと確認した事なんて無い。それでも父が言えば、母が言えば、信じる事が出来た。

二人がそういえば、根拠も理由もなくても、無心に信じて、安心する事が出来る。信じることができるように、ちゃんと育ててくれたのだ。そういう大きな愛の中で、守られてきた。多分今もずっと守られている。

父の言った通り、私は合格しその大学へ入学する事が出来た。

不気味な糠漬けも母が洗って、切って、食卓に並べれば何の疑いもなく、おいしいと信じて食べる事が出来たのは、私がいい加減だったんじゃなくて、母の愛のなせる業。
今日のところは、そういう事にしておこう。


 
 

コメント

人気の投稿