お弁当ハッピー





我が家の味噌汁はいつも盛り切りだ。
一食ごとに食べきり、基本的に残さない。
ある時、母に理由を尋ねると、『残り物を食べるのが嫌だから。』と言っていた。昭和を生き抜いた人間だからだろうか。昔から残り物をたくさん食べてきたから、大人になった今そんなところは贅沢をしたいのかもしれない、なんて勝手な想像を働かせてみたりした。
母のそれは、味噌汁にとどまらず、煮物などのおかずについても同じらしかった。何にしろ残っていた物を時間が経ってから食べる、という事が嫌いなようだった。

先日実家へ帰省した際も朝ご飯に盛り切りの味噌汁を食べた。誰かが帰省すると決まって食事が豪華になる。その日も自分の思い出のそれと比べても明らかにおかずの品数が多かった。そして、その事に私は感謝し、朝早くから起きて作った母も嬉しそうだ。人間に程よい距離感が重要であることを実感する瞬間である。
家族全員が一通り食事を済ませたところで、案の定おかずが残っている。すると母がおもむろに残ったおかずをお弁当箱に詰め始める。尋ねると、『お昼用にお弁当作っておくの。私お弁当好きなのよ。』と嬉しそうに答える。私はすかさず『残り物嫌いって言ってたじゃん。』とおかしそうに言うと、母が『残り物じゃないでしょ、お弁当。』と何でもない事のようさらりと答える。
この理屈の通らないような答えに私は納得させられてしまった。
残り物とお弁当の違いはきっとそこに意思があるかどうかだ。誰かのために、あるいは未来の自分のためにお弁当を作っておくのと、ただ残っていた物を残っていたから食べる事の違いを母は言いたかったのだと思う。そして、母はその違いを当たり前のこととして知っていたのだ。
母は意志の力で嫌いな残り物を大好きなお弁当に変えてしまった。
幸せは自分の心が決めるのだといろんな人が教えてくれたけれど、母の考え方はあまりにも身近な物事でそれを示してくれた。
やはり母はすごいのだ。
そして、母が作るお弁当にも残り物と同様、いつだって福(幸せ)があるのだった。

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