なんのために







雲一つない空は青く青く澄んでいて、ざわめきを残しながらも普段通りに過ごす人たちが幸せそうに笑う。ショッキングピンクのシューズを履いた人が目の前を走り抜ける。10月の空気の中でその人が作る風に春を感じる。ここではすっかり昨日までの緊張は終わっていて、道路の隅にはりついた枯葉やゴミ、強く吹く風にその名残があるだけだ。ここじゃない場所ではまだそれは続き、終わりさえも見えていない。そしてテレビをつけるだけで私たちはその様子を目で見て耳で聞いて確認することができる。河から溢れた水が街の色彩を一色に覆いつくした様子、その水の色、救助される人、する人の姿、表情、奪われたものについて語る人の声のトーンまで。
一体何のために。そんな疑問を今になって抱くなんて。ありきたりな答えだっていい。私はなんのために遠くで起きた災害をそこで失われたものをそのとき人々が感じたことを知るのか、知って何をするのか。日の当たるホームで電車を待ちながら浮かんだ疑問に恥ずかしさがこみ上げる。遅すぎる疑問をそれでもちゃんと考え続けたい。

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