夏休みの思い出
夏休みといえば、そうめんとからあげと麦茶。
子どものころ、夏休みのお昼ご飯といえばそれが最高のごちそうだった。
私の場合、からあげは年中ごちそうなのだけれど、夏のそうめんと冷たい麦茶と一緒に食べるからあげは、また格別だった。
ある年の夏休み、当時小学生だった姉と私は、なぜかその日、四畳半の畳の部屋にちゃぶ台を用意して、お昼ご飯を食べようとしていた。縁側とは名ばかりの小さな濡れ縁のある畳の部屋だ。普段その部屋でご飯を食べる事なんてほとんどなかったのだが、その日は天気が良かったので、縁側から外の景色でも見ながらご飯を食べようという事になったのかもしれない。その日のメニューもそうめんとから揚げだった。そして、もちろん冷たい麦茶も付いてきた。
ただ、ひとつ想定外だったのが、母が揚げたてのからあげと一緒にお皿に山盛りのセロリを持ってきた事だった。姉と私は当時セロリが大嫌いだった。黙って顔を見合わせる姉と私。その時ばかりは意思の疎通が完ぺきだった。
8月らしく真っ青に晴れた空、蝉の声、扇風機から気持ちよく吹く風、そうめん、からあげ、麦茶、本当に完ぺきな夏、だったのに。山盛りのセロリが邪魔をした。
セロリといえば、『育ってきた環境が違うから』の歌詞でおなじみだけれど、姉と私は育ってきた環境が同じなのに、好みがばらばらだった。姉は肉が嫌いで野菜が好き。私は肉が好きで野菜が嫌いだ。姉は優しくて、絵が上手くて、手先が器用だ。私は癇癪持ちで、絵が下手で、不器用だった。だけど二人ともセロリは嫌いだった。それだけは、同じだった。
あんなに臭いものを、この香りが癖になると、むしゃむしゃ食べていた父をすごく遠い人のように感じていた。殴られたことなんて一度もない父にどこかで恐れのような感情を持っていたのは、そんなところからも来ていたのかもしれないと、今振り返ると思う事がある。
とにかく、その日、姉と私に課されたミッションは、山盛りのセロリを処理する事だった。解決方法は姉がすぐに思いついた。セロリを庭に埋めればいいのだ。ちょうど縁側の窓が開いている。セロリの入った皿を持ち、縁側から外に飛び出て、セロリを埋めて戻ればいい。完ぺきな作戦だった。
母がセロリを置いて戻っていく。台所でそうめんを茹でているようだ。姉は機会を逃さなかった。セロリをもって縁側から飛び出していく。8月の日差しで真っ白に照らされた庭、その光の中へ飛び出していく姉の後ろ姿を私は今でも覚えている。あの瞬間、姉は間違いなく私のヒーローだった。そして、母がそうめんを茹で終わる前に、姉はセロリを庭に埋め、ちゃぶ台の上に空のお皿を戻したのだった。私たちは完ぺきな夏を取り戻した。
私はこの出来事を夏になるといつも思い出す。
姉の雄姿の後、そうめんを持ってきた母は、空っぽのお皿を見て、確かにこう言った。
『もう食べたの。早いわね。』
けれど怒られた記憶はない。
幼いころ、野菜が嫌いな私は、ほうれん草のお浸しが出るたびにいらないと訴えながら、それでも母に許してもらえず、泣きながら食べていた記憶がある。母も父も食に関するしつけは厳しかったように思う。だから、あの時ばれていたのなら、なぜ怒られなかったのか不思議で仕方がない。
母はある時からカレーにニンジンを入れなくなった。聞くと、母はニンジンが嫌いだったそうだ。最近では、『嫌いな物なんて食べなくていいのよ。』とまで言うようになっている。
単に私たちが成長し、大人になったので、嫌いなものを無理して食べさせる必要がなくなったからなのか。それならよいけれど、あの夏の日の私たちの行動が、母の心に何らかの傷を残したのではと、ふと、心配になったりもする。
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