夜に




 世界から自分の味方が居なくなってしまった日、自分で自分を守ろうとかたくなになった。夜はただいつも通り暗いだけなのに、空気の中に溶けだした黒はぐんぐん重さを増していく。傷つかないように武装した心と体は余計に身動きが取れなくなった。湿気を含んだ空気が体の表面だけを冷やす感覚が気持ち悪い。
 誰かの思い通りになる方が楽なんだ。帰り際に向けられた視線を思い出し、バッグを持つ手により力がこもる。出来るだけ同じように過ごして、気付かれないように上手に上手に、流れに乗ってゆるゆると下る。自分を殺して我慢するよりもやりたいようにやった時の疎外感の方が苦しい。だけど流され続けたら大切なものを失っていつか後悔する日がやってくる。だから絡みつく視線や同調を振りほどいてここに来た。それでも優しさで薄まった悪意が突き刺さるように感じられる日だってある。
 遠くで踏切の警報音が何もない夜空を揺らす。静かな夜、踏切を目指して一人で歩くと煙草を吸う人が目についた。両手に大きな荷物を抱えて吸いにくそうに煙草をくわえる若い女性。電話を肩で挟みながら顔を傾けて火を点ける男性。珍しいものを見たような感覚。思わぬところで時代の変化を感じる。道を歩きながら喫煙する人を近頃ではほとんど見なくなっている。お金をかけて不健康になるのをやめるのは自然な流れらしい。
 小さな飲み屋の前に一人佇み赤い光を咥える姿が見える。店の中の人々の方が明りの中で楽しそうなのに、なぜか空を見上げるように煙を吐き出す姿が羨ましくなった。
 暗くて狭い場所に一人追いやられて自分の身体を傷つけている。でも代わりに彼はひとりきりで夜空を見上げる時間を手に入れたのかもしれない。吸い込んだ煙の苦味を味わうことが出来たのかもしれない。何も得られない訳じゃない。何も失わない訳がない。だから欲しい方を選ぶ。
夜空に灯る赤い光が、揺れながら消えた。

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