スマホの由来




 昔から自分には何かが欠けていると感じている。人との距離が上手く保てないというか、人の気持ちが分からないというか。今でも時々測り間違えてしまうことがある。
 上手くできないのなら失敗したことにすら気が付かなければいいのに、それにはちゃんと気が付いてしまう。それも必ず行動した後に。
特に失敗が多いのはメールの返信だ。メールを打つ、返信する。書きながら誤解されないように、受け取った人を嫌な気分にさせないように気を付ける。そして送信。送った後に、、、あれ、これってちょっと誤解されるかも、とか、違う意味にも取れるかも、と気が付く。でも取り戻せない。ああ、やってしまった。それから返信が来るまで、これ以上ないほどにやきもきする。
頭の中で始まる自問自答。メールを受け取った相手が苛立っているんじゃないか、無神経だと思われたかしら、それとも、、、。なぜもっと早く気が付かないの。ああ、ダメな私。知っていたけど、馬鹿でした。ああ、消えたい。消えてなくなりたい。
スマホや携帯、その他の通信機器、そんなものがこの世に無ければこんな思いもせずに済んだのに。その通り。私はどれだけこの四角い板に振り回され、心かき乱されているのだろう。ばかみたい。
でもきっと返信が来なくてやきもきするのはその相手に嫌われては困るから。これからも仲良くしてほしいから。一緒に居たい大切な人だから。そして私は何もない日々の中でそのことを忘れている。自分のダメさ加減に頭を抱えて返事を待っているとき、私はこの人が大切なんだと自覚する。大切な人を大切だと平凡な日々の中で思い出させてくれるコレが、忘れっぽい私には必要なのかもしれない。
そんなことを考えながら今日も返信の来ない黒い画面を前にため息をつく。返事を待ちながら何度も何度も画面を確認する姿もやきもきしている心も、吐き出すため息も、そのすべてが全くスマートではないので、せめて名前だけはスマートに。

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