昔、遠足の日に雨が降ると嬉しかった。みんなで並んで歩調を合わせて歩くのも誰かのトイレを待つ時間も嫌いだった。行った先で見たいものややりたいことが違っていても、一人になってはいけないからみんなに合わせなくてはいけない。「みんな」という得体の知れない力が普段より強く感じられるイベント事が苦手だった。
だからそういうめんどうなあれこれを洗い流して平凡な日常をもたらす雨に救われた。思えば部活の試合を中止にしてくれたのも行きたくない友だちとの約束を延期にしてくれたのも雨だった。
では、雨が好きかと聞かれれば好きではない。6月生まれ雨女である私だが、いやだからこそ雨が嫌いだ。楽しみにしていたお出かけや旅行はもちろん、新しい靴や洋服を身に着けて出かければその日は必ず雨が降る。おまけに傘と相性が悪いのかお気に入りの傘は無くすか壊すかの繰り返し。そのおかげで学生時代はビニール傘を愛用するようになった。
6月は誕生日だけれど、梅雨であまりにも太陽の光を浴びていないと憂鬱が身体を支配する。仕事に行かなくてはならないのに雨だと憂鬱は2倍どころじゃない。だけど雨の日を嫌いになり切れないのは、雨が家に留まる理由をくれることがあるから。
今年、10連休なんて特別な物を与えられて人々は外へ向かって飛び立っていく。軽やかに。そんな人々を見上げながら、ここに留まりたい私は広い世界を求めない心と飛び立てるほどに身軽になれない体に劣等感を抱える。重たくなったままの心と体でベットに潜り込み眠りについた、金曜日の夜。
翌朝目を覚ますと雨の音がしてカーテンの奥が暗い。最高にイカシテル。今日は家に居てゆっくり休みな、だって雨だから。そう言ってもらえた気がする甘ったれの雨女。

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